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2011年10月12日水曜日

インドネシア旅行記 雑感



9月15日
とうとう、インドネシア滞在最後の日を
迎えました。
この日は早朝から、ジャカルタ北部
の街、コタ地区に出かけました。
噂に聞くバタビアカフェで朝食
を摂ってみたくて。
                
バタビアとは・・・
その昔、オランダが東インド会
社の拠点を現在のコタ地区に
置き、(イスラム王国のときジャ
ヤヤカルタと呼ばれていた街
を)バタビアと改称。
インドネシア各地の植民地の
中心として急速な発展をした街
でした。

今も当時の建物が(廃屋として
残っているものも数多く)ありま
した。オランダ風に木枠の窓が
たくさんある建物は、現代の私
達が見ても魅力が   
セピア色の雰囲気ある店内
夜は、音楽の生演奏も・・
あります。そして・・                          
バタビアカフェは、今もなお
たくさんのお客様をもてなして
いるお店でもあります。
店内には、来店した有名、
無名の人の写真が無数に           
貼られ、味わいをいっそう
深くしています。

ジャカルタは、最新の街でもあり、
古きよき時代も残している不思議な
都市でした。

店内の壁面は写真がいっぱい




                               

                                                                                     
  



この旅を終えて
「インドネシアってどういう国?」と聞かれたら、
多様性に富んでいて一言では言い表せない国と答えるでしょう。
島が違えば全く違う国のように文化が、風景が違っていて
興味は尽きません。

私にとって、初めてのインドネシアは、観光で訪れたバリ島でした。
バリ島は「地上最後の楽園」と称されるすばらしい場所です。
でも、バリ島はインドネシアの島々の中では(良くも悪くも)特別な
場所であるということを改めて感じました。
椰子の木より高い建物を作らず、伝統芸能やバリ人達のヒンドゥー教
によりどころを置いた儀式や生活様式・・観光客としてそれらを見せて
もらいに行っていたのだということを強く感じました。

他の島では、外国企業の進出や開発が進む一方で、イスラム教や
その地方の習慣によりどころをおきながらもエネルギッシュな人々
の日常生活を見ることができました。

さらにジャカルタのオフィス街では、日本人と思しきボスがインドネシア人
スタッフや、中国系のインドネシア人スタッフを引き連れての、ランチミー
ティングも数多く目にしました。
日本の企業がいかに多く進出しているかはもとより、人と人がその国で
つながっている様子を見るチャンスを得ました。
それは、とても好ましい風景に感じました。

この旅行でお世話になったインドネシアの皆様、
素敵な経験をするチャンスを与えてくれた、インドネシア特派員ひげさん
MOCOさんに心から感謝いたします。
また、広いお心で、休暇をくださいました事務所所長にもお礼を申し上
げます。
     
NOCCO

2011年10月11日火曜日

ジャカルタの風景

ショッピングモール
グランドインドネシア周辺



タクシーも渋滞の中


グランドインドネシアに入っている
SEIBU
老舗デパートセリナに加えプラザインドネシアやグランド
インドネシアという大きなショッピングモールがありました。
世界のブランド品店もたくさん入っています。








グランドインドネシアには、SEIBUを始め、紀伊国屋も・・・さまざまな小売店が出店しています。
また、地階では、こんな光景も・・・・・







もう世界でも、有名?EDAMAMEが売られていました。
やっぱり、日本人が買うのでしょうか?
それともインドネシアのセレブも購入??



新鮮で商品がとてもきれいでした。まるで日本のデパートのよう。


氷の上に並べられた新鮮な魚



水槽の中に泳ぐ魚。豊かな商品。日本で送る生活がそのままできそうな感じ。
ブランド品店では、お値段も、日本、シンガポールと比較すると、安く感じました。
流通経路が違うのでしょうか。ジャカルタでは、不自由ない生活ができそうです。


2011年10月10日月曜日

乗ってみました トランス・ジャカルタ

トランス・ジャカルタは、コタ駅とブロックM間
の幹線道路を40分ほどで
結ぶ、快適なエアコンバス。
道路わきにある専用ホー
ムの窓口で磁気カードを買い、
自動改札機に入れて乗車口へ
(カードは回収される)。
あまり混み合わないのでスリに
遭う確率は低く、英語による
停留所のアナウンスも流れる。
・・・・・」
とガイドブックにありました。

幹線道路を一般の自動車が
渋滞で混みあっていても、
すいすいとバス専用レーンを
走り抜けるトランス・ジャカル
タはなかなかのかっこよさ。


それで、乗ってみました。

エアコンは効いていました。                
混み具合も(ラッシュ時では
ありませんでしたが)
まずまず。
でも、床の痛みはひどく、
金属部分はすりへり、床板
がむき出しのところも。
それに、車内アナウンスの
機械が、いつ壊れたものな
のか(?)
車掌さんのような人が停車
場近くなると、叫んでました。
乗客も、窓の外の風景を
覗き込んで自分の目で確認
して、降りていました。

トランスジャカルタの運行が始まった頃には
(6~7年ほど前)外国人にも大変好評だった
というこのバス。メンテナンスの大切さを
改めて感じさせてくれました。

でも、いろんな人が乗り込んできて、面白かったです。

2011年10月9日日曜日

ビジネスの街 ジャカルタ

9月14日
ジョグジャカルタから、ガルーダインドネシアのドメスティックラインでジャカルタに到着。
インドネシアの首都、ビジネスの中心街。
スカルノハッタ空港から、タクシーでジャカルタの中心部に向かいました。(タクシーは
シルバーバードか、ブルーバードが安心らしいです)

高速道路に入ってすぐから、日本の企業の巨大な看板が目をひきます。
反対側をみれば、SOGOの文字が・・。SOGOが入ったショッピングモールと一体になった高層マンション群が見えました。え?ここはどこ??そんな気分になりそうなくらい
日本の企業の名称が多くておどろきます。

ジャラン・タムリンにさしかかると、高級ホテルやプラザインドネシア、グランドインドネシアといった高級ショッピングモールもみえてきました。



そして・・・ ジャカルタのシンボルといえば、これでしょう→ 
モナスの塔(独立記念の碑)、ここをぐるっと回って、ホテルに向かいました。
          
ジャラン・タムリンの沿道には、バンクインドネシアや各国の総領事館も軒を並べていますが、なんといっても日本の総領事館の大きくて立派なこと。古くから、貿易相手国としてまた、日本からの国際支援、国際協力などで親交が深く、
在留日本人の数も多い(公的に把握されている邦人・・
約4000人)ことによるものでしょうね。
その、総領事館の前をタクシーが通りかかった時、MOCOさんが、建物に掲げられた横断幕(これも巨大でした)をするすると訳してくれました。
その内容は、
「われわれ日本国民は、この度の東日本大震災における、
インドネシア国民の皆様の暖かいご支援に深く感謝いたします」でした。
東日本が被災した時、インドネシアの外務大臣がおっしゃった言葉を思い出しました。「今まで日本に受けてきたご恩返しをさせてください」と。少し胸が熱くなる思いで、ひとまずホテルにチェックインいたしました。
            

2011年10月6日木曜日

学生の街 ジョグジャカルタ

古くからの都 ジョグジャカルタは、インドネシアの各地から小中学生や高校生まで
、歴史の勉強や修学旅行に訪れる場所だそうです。そう、ちょうど京都のような感じ
でしょうか。王様の宮殿や、ボロブドゥールでは、たくさんのお揃いの制服姿の学生達
を見ました。

同時にジョグジャカルタは、人口約300万の内4割が学生で占められています。
なぜかというと、ここには57もの大学と専門学校があり、全インドネシアの7割が
集中しているからです。
街を車で走っていると、確かに歩く人、バイクの群れ・・皆若い人です。学生さんの街
なので、下宿やさんが多く、食べ物やさんも安くておいしい屋台がいっぱい。また、
どの店でも学生割引があるのだとか。活気があって楽しそう。
暮らしてみたくなります。

大学の構内の駐車場は、必ずバイクでいっぱいなのに、高級車で駐車場が
いっぱいの大学を見つけたので、聞いてみたら、「ここは経済や会計を学ぶ
大学で、親がお金持ちの人が多く、卒業すれば必ず大きな企業に就職できるので
皆が入りたい大学」と言っていました。
今、インドネシアは経済を学ぶ人や会計人を必要としているんですね。
驚きました。

歴史の街、学生の街ジョグジャカルタ。
外出ばかりしていたので素敵なホテルの探索も出来ないまま2日間が過ぎました。
明日の早朝ホテルの庭園をお散歩して、いよいよジャカルタに飛びます。
夜のプランバナン寺院
地震で周囲は崩れたものの、ライトアップされて美しい姿を
見ることができた。




2011年10月5日水曜日

王様の持ち物(歴史の街 ジョグジャカルタ)

その昔 王様が乗った輿
歴史の街 ジョグジャカルタは王宮に王様が今でもお住まいになっています。
この日はもうすぐとりおこなわれるという王女さま(5女の)の結婚式のための
音楽隊の練習がおこなわれていました。様々な金属製のおわんのようなものを
たたいたり、ガムランや、笛などを合わせていましたが、時間差で聞こえてくる
その響きは合ってるのか、合ってないのか・・・よくわかりません。おじいちゃんの
家来の方(家来は今でも王様に仕えているのだそうです)が出遅れているような
気がしましたけど・・。

現在の王様は、先の大統領選挙では、副大統領も務められたそうです。
政治に対する姿勢の違いから一期のみで辞されたそうです。
ジョグジャカルタは、ずっと王様の世襲制でジョグジャカルタを治めて
来られたそうですが、他の県と同様にそろそろ、民主的に投票で知事を
選んだらどうかという意見もあるらしいのです。
でも、なんせ、王宮や古い遺跡となった王宮跡などに家来といわれる人を
たくさん抱え、またジョグジャカルタの街の9割が王様の土地だそうですから、
他の人が選挙で選ばれる可能性は限りなく低いかもしれません。


王様の家来
頭にはバティックの布製の帽子(髪の毛をくるんでいる)。腰には聖剣クリス。足は王宮内ははだし。といういでたちの家来の方たち。ちょっと高齢化してるかも。


←クリス






王様の選挙についてふれましたが、インドネシアでは、選挙が近づくとそこかしこに
大きな、おじさん達の顔写真がついた看板が立ち並びます。
なんでも、ここインドネシアでは文字が読めない人達でも投票できるように、投票し
たい人の顔のところに穴をあけて、意思表示をすることになっているからだそうです。
島々によって、また村によっても言葉や文字も違い、インドネシア語(この言葉で
統一しようとして作られた)も、高齢者にはわからない人も多いそうなので、とても
良い方法ですよね。
でも、すごいイケメンだったら、顔に穴があけられないかも・・・と思うのは私だけで
しょうか。中年のおじさんばかりで(失礼)、看板を見る限りそれは余計な心配かも
しれません。

NOCCO

2011年10月3日月曜日

歴史の街、学生の町ジョグジャカルタ

12日夕方  ジョグジャカルタ着 
        到着時刻の遅れでこの日の予定はキャンセルに。
        ジョグジャカルタ・ハイアットで遅い食事をとろうとレストランに
        出向いたら、パーティが催されていました。庭園レストランの
        片隅で聞いているとMCが「ガルーダインドネシア・ソロ!」と
        何度も連呼していました。ガルーダインドネシア航空
        のソロオフィスの開設記念パーティのようでした。 
        男性も女性も皆さんバティックを着用。
        インドネシアの正装でした。


←ジョグジャカルタ ハイアットの
  ロビーラウンジ
  ボロブドゥールをイメージした石造り
  とても落ち着いた雰囲気



13日    早起き(午前4時半出発)、
        ボロブドゥールのサンライズに
        車で出発。
       火山の噴火で村1つが無くなった     ・・・という村を横目に、真っ暗な中を走り抜けました。
午前6時少し前ぼーっと空が明るくなり・・・
椰子の木の原生林がもやの中に浮かび上がり
神秘的でした。

      
     
 やがて、夜が明けると、自分が歴史あるものの中に立っていることが実感できます。お話が描かれた回廊。一度は見てみたいと願っていた場所に自分が立っていることの不思議。そして、何より、この大きな建造物が火山灰によって埋まり何百年も忘れ去られていたという不思議も、この場所に立つと、何だか、それも理解できるような気持ちになります。







ボロブドゥール全景
ジャワ原人から始まる長い歴史を持つインドネシア。1000数百年前には、石造りのすばらしい建造物を作る技術を持ち、ヒンドゥー教や、仏教イスラム教に影響された独特の文化を形成していったんですね。なかなか奥深いですし、興味は尽きません。




2011年10月2日日曜日

スラバヤの空港で

9月12日

マカッサルからスラバヤまでは順調な空の旅でした。
スラバヤは、ジャワ島第2の都市といわれる、商業、工業の
集積地です。スラバヤが近づいてくると、空からも広大な敷地に
大きな平屋根で覆われた工場のような建物が、そこかしこに
見えました。港にはクレーンが何基も並び、タンカーが横付けされ、
製造業を担う工業地帯の都市の顔が見えてきました。

ロビーや通路では、製造業等の工場で働いているらしい人を多く
見かけました。
ジョグジャカルタ行きの便を待つ間、空港内を探索。
売店で、妙なものを発見。匂いと、売るスタイルに
本当に驚きました。
↑燻製にした魚をつるして売っていました。
エアポート内の売店としては、匂いにあまりこだわらない
ダイナミックなつるし売り。
乗り継ぎのため2時間半を、ウロウロして過ごし、搭乗時間になったので
ゲート付近で待つものの、
なかなか搭乗便のコールがなく・・・待って・・ひたすら待ってさらに2時間半
突然ゲートは開かれ、
やっと、ジョグジャカルタに出発の運びとなりました。
遅延の理由を聞くと、機体の整備が上手くいかず、結局別の機材で飛ぶとのこと。
そういえば、mocoさんが言ってました。「とにかく、その日のうちに飛んでくれたら
よし、よ」と。確かにインドネシアの人たちは、文句も言わず、怒りもせず、
ゲートが開いたら・・どどどっと乗り込んでました。

日本なら、5分遅れても「大変ご迷惑をおかけし・・・」のコールが入り、2時間半
なら、その日のニュースになりそうです。時間に関する感覚が違うのでしょうね。

2011年9月30日金曜日

マカッサルからスラバヤを経てジョグジャカルタへ

マカッサル最後の夜。
お食事の後、高級な感じの韓国系のスーパーマーケット(イメージ的にはデパートのような感じ)に行きました。夜は涼しいのでぞろぞろ人がでています。
すると
リズミカルで迫力のある太鼓の音に、大きな歓声や拍手が聞こえてきました。
写真に写る車(日本車)がリボンをかけられ、おしゃれしているのが見て取れるでしょうか。
(他にも何台もの新車が並べられていました。)

スーツ姿のインドネシアの紳士を火であぶるパフォーマンスを見て、群集は大喜び。パフォーマー達も火の踊りをして気分を盛り上げます。
どうやら、聞くところによると、あぶられていたのは銀行の偉い人らしく、銀行の口座の開設か、
高額の預金をすると、新車が当たる・・というイベントのようでした(さだかではありません)。

私が、(インドネシアの一般の人たちからみると目が飛び出そうな贅沢な・・RP.45000・・4回くらいランチが食べられる金額の)アイスクリーム(こういう不自然なものは高額です)をなめていると「OOH!」という歓声と拍手に包まれてイベントは最高潮に。
(どうやら車があたったらしく)なんかすごい熱気を背中で感じながら、高級スーパーを後にしました。

マカッサルでは、魚やカニがとても安くて、おいしく、また、中国系の経営者のお店などは、きれいで
新しいものも目につきました。素朴な露店もなくなって欲しくないなと思いつつ・・
明日は、スラバヤ経由でジョグジャカルタに向かいます。


↑乗ってみました庶民の足のペテペテ
RP.3000(約30円)で、その路線なら一律この料金

2011年9月27日火曜日

マカッサルのおいしいもの 第2弾

9月10日(海に行った日の夜・・正しくは10日でした)
到着してすぐにルンピアを食べたことをお伝えしましたが、
今回は、お肉料理。
この調理場を(入り口で作ってます)ぬけて、テーブルへ。
牛肉のアバラの部分の煮込み料理のお店コンロ。

何でも、お店は、筋向いに移転して2階建ての建物になったそうです。
お店は、大繁盛でした。

お肉が大好きな私・・。楽しみに待っていると・・・・・・
どどーんとでてきました。複雑な調味料に良く煮込まれたお肉はとても柔らかで、スプーンで
簡単に切れるほど。
スープ、ライス、お肉のセットで1人分約RP.32000(日本円で320円くらい)。
安い!と思った私はあまかったようです。移転改装前は、約RP.17000だったそうですから。

2011年9月25日日曜日

碧い海


9月9日
マカッサルの猟師さんや、地元の人が集う小さな港から船に乗り、*なんとかかんとかケケ島(ひげさんに詳しく聞いておけばよかった・・日本人には難しい発音だったような・・)に向かいました。海の色がとても美しくて、「あお」という色にはこんなにも種類があるのかと驚きました。
スカイブルー、エメラルドグリーン、ミッドナイトブルー・・・島が近づくとさんご礁の白砂に、海の色は、エメラルドグリーンに。
外国人しか観光に訪れなかったらしい離島も、インドネシア人の若者達の団体が訪れていました。
爽やかに風が吹き渡り、光を受けて輝く水面、縁台のような台でくつろげば、インドネシア語でのおしゃべりもバックグランドミュージックがわり(?)、南インド洋に浮かぶ小島でうとうと気持ちよさは
なんに例えたらよいか・・・。あくせくした毎日を忘れさせてくれるひと時でした。


この船着場から、いくつか船をまたいで、おめあての船に乗船。船着場では、小さなプロパンガスのボンベやさまざまな生活物資が荷積みされていました。おそらくここから、離島へ。

沖には外国船(巨大な)タンカーが何十艙も浮かんでいました。





その、なんとかかんとかケケ島。
まわりでは、スキューバダイビングも楽しめる
そうです。水の中を泳ぐ魚の群れが見えます。


この美しい海は、インドネシアの人だけでなく
地球の宝物ですね。

2011年9月20日火曜日

インドネシア旅行記 5 

フルーツを買って見ました。
マカッサルの幹線道路を車で走ると、道端に木を組んで陳列棚に
したお店がいくつも目に入ります。
私が、買ってみたくて仕方なかったのが、ピサン(バナナ)です。生食しておいしいものを・・と選んでもらったのは、ピサン・ススといわれる
小さめのバナナでした。このピサン、小山のようにもりもりの房で買って、8000RP.(日本円で
80円くらい)。もちろん甘くておいしい。

バナナの種類は厳密に区別すると、数十種類あるそうで、ほんと、びっくりです。

また、日本では超高級品のアップルマンゴーですが、こちらのものは皮はグリーン。庶民が大好きなフルーツのひとつだそうで、1kgあたり、5000RP.~6500RP.
(50円から65円くらい)。アップルマンゴーとは少し香りが違うものの、お味はとてもまろやかでジューシーでした。




また、一方で、高級スーパーのフルーツ売り場では、輸入品も含め、美しく陳列され、結構高い価格のものが並んでいました。
たっぷりと並べられた商品に
住民の購買力が高まってきていることが、
うかがわれました。

2011年9月18日日曜日

インドネシア旅行記 4

9月9日
ついに、スラウェシ島スルタンハサヌディン空港(マカッサル)に
到着しました。広々として新しくきれいな空港です。
この空港は、インドネシアの東の玄関口といわれていて、パプアやマルク諸島への起点となっています。
お昼近くにバリ島を飛び立って約2時間、そろそろお腹がすいてきました。


連れて行ってもらったのがこのお店。マカッサルで一番おいしい
と評判だそうです。↓


           
ルンピアは巨大な春巻きっていうところでしょうか。
ぱりぱりの皮のおいしいこと。真ん中をフォークであけて、そこにピリッと辛い
ソースをかけて頂くのがマカッサル流。中はやけどしそうなくらいの熱々。
2本も食べちゃいました。     nocco

インドネシア旅行記 3

バリ島ウグラライ空港に程近いホテルで一夜を過ごし、スラウェシ島に、ライオンエアーで向かいます。
ライオンエアーは、国内ではガルーダインドネシアに次ぐ エアラインらしいのですが・・・
ドメスティックになると、急に庶民の足(まさに
乗り合いバス感覚)といった感じです。
我先にと乗り込み、通路は渋滞。荷物入れには「何が入ってるの?」と叫びたくなるような竹かご入りの物や、小さめのダンボール箱にグルグルにテープをまいた物も。
CA.も手馴れたもので、不機嫌ながら無理やり押し込むのを手伝っていました。

← 赤っぽいワンピースがCA.
    
大騒ぎの後に無事飛び立ちました。
こういう光景に出会うといつも思うのですが、万一の時冷静に粛々と・・・
それは、むつかしいでしょうねえ。多分。
nocco

2011年9月17日土曜日

インドネシア旅行記 2

9月8日 チャンギ国際空港にてトランジット
時間があったのでアメリカ系のカフェでお茶を
しようと立ち寄りました。
メニューをみるとmaccha入りパウンドケーキが・・日本ブーム??
ターミナル1~3まであって、1つのターミナルに20数個の
ゲートを備えた巨大なハブ空港。立ち寄るたびに進化を目の当たりにします。

とにかく広いし、人がいっぱい。

時間つぶしに入ったカフェ。メニューにはmaccha味のものがありました。     
近頃、人気商品とか。    

2011年9月16日金曜日

インドネシア旅行記 1

インドネシア特派員のMOCOさん、ヒゲさんのお招きもあり、
辻会計事務所の所員の私がこの度インドネシアに行ってまいりました。
9月8日シンガポールエアラインにてシンガポール経由              でインドネシア バリ島に到着。翌日ローカルラインにて
     スラウェシ島を目指します。
     これから、数回にわたりインドネシアの風景、雑感をお届けしていきます。
                                          NOCCO