2010年12月31日金曜日

今年もあと数時間…

もう今年もあと数時間となりました。
新年を迎える準備はお済みでしょうか?
私も明日の朝のためにミニおせちの準備をしました。

インドネシアは常夏の気候なので季節感が全くありません…そしてインドネシアの方たちは新年よりも自分たちの宗教のイベント(断食明けやクリスマスなど)を重視する傾向があり、年末年始というよりはなんでもない月の月末といった雰囲気です…
でも私は日本人としてお正月を改まった気持ちで迎えたいと思います。

テレビの前に実家から届いたおせんべいとインドネシア産(?)のミニみかんも用意しました。


今夜は年越しそばを食べて紅白を観ます!


皆様、よいお年をお迎えください。


(*インドネシアの私のいる島では日本より1時間後に年明けです。)

2010年12月22日水曜日

オプティミスト?ペシミスト?

NHKの「坂の上の雲」を、毎回楽しみに見ています。
前回の放送で、「明治は<オプティミスト>の時代であった」という
ナレーションがありました。瞬時に、何ていい時代なんだろう・・、
それに比べて現在は・・と思ってしまいました。

改めて考えれば、平成はペシミストの時代なんでしょうか。
人口は減少、社会全体の縮小化・・日本全体が小さくしぼんでいく。
これが、現在の日本の中にいる実感。

そもそも、このように負のイメージを払しょくできず、負の連鎖で物事
を考えてしまっていることがペシミストになってしまっているという事な
のでしょう。

あと10日で新しい年を迎えます。マイナス思考を逆回転させ、明るい
希望をもって、平成23年をスタートさせたいものです。


所長雑感


*オプティミスト・・・楽観主義者
*ペシミスト  ・・・悲観主義者

2010年12月6日月曜日

インドネシアからの贈り物

インドネシアから少し早めのクリスマスプレゼントが届きました。

薫り高いマンゴーとパッションフルーツのフレィバリーティとインドネシア各地のコーヒーのセットでした。どれも、美味しいのですが、私のお気に入りは、やっぱりマンゴーティ。爽やかなマンゴーの香りが楽しめるからです。紅茶の色もとてもきれい。カードに添えられていたインドネシアのクリスマスオーナメントは、乾燥した植物の葉で編まれたものでした。素朴な味わいがあります。金属フレームのツリーが心なしか優しく見えるように感じます。世界中に遠く離れて過ごす、親子、恋人同士はたくさんいることでしょう。そして、そっと、離れているもう片方の幸せを祈っていることでしょうね。                  



2010年12月3日金曜日

慣用句から見るインドネシア

前回に引き続き、今回はインドネシアの慣用句をご紹介します。
その言葉からは私たち日本人には意味が想像し難いものや、なるほどと思ってしまうものまで様々です。


「kepala batu」
直訳:石頭
意味:頑固者

「kepala besar」
直訳:大きい頭
意味:高慢

「otak udang」
直訳:エビの脳みそ
意味:バカ、大したことが考えられない

「cuci mata」
直訳:眼を洗う
意味:目の保養

「mata sapi」
直訳:牛の眼
意味:目玉焼き

「mata mata」
直訳:眼と眼
意味:スパイ

「amplop」
直訳:封筒
意味:賄賂

「hijau」
直訳:緑色
意味:青い(人柄やすることが未熟)

「bagai berumah di tepi tebing」
直訳:土手に建つ家
意味:いつも不安がある

「bagai air di daun talas」
直訳:里芋の葉の上の水
意味:意見がすぐ変わる人

「jatuh di atas tilam」
直訳:ふとんの上に落ちる
意味:損にならないこと

「besar bungkus tak berisi」
直訳:大きい包みで中は空
意味:ほら吹き

「pagar makan tanaman padi」
直訳:垣根が稲を害する
意味:送り狼



私がこの中で気に入っているのは、「otak udang(エビの脳みそ)」です。初めて聞いた時、思わず笑ってしまいました。ちょっとエビに失礼ですよね…?(実際にこの言葉が使われているのはまだ聞いたことがないですが、もし言われてしまったらショック(泣)ですね…)

2010年12月2日木曜日

ことわざから見るインドネシア

昔からの格言やことわざはその国の風土や習慣から生まれたもので、それを知ることでその国の人たちの考え方の一部を知ることができます。
今回は日本のことわざと似ている意味を持つインドネシアのことわざの一部をご紹介します。


・所変われば品変わる
「Lain padang lain belalang, lain lubuk lain ikannya.」
直訳:場所が変わればバッタも変わり、川が変われば魚も変わる。

・郷に入っては郷に従え
「Masuk kandang kambing mengembik, masuk kandang kerbau mengumak.」
直訳:山羊の檻に入ればメーと鳴け、水牛の檻に入ればモーと鳴け。

・覆水盆に返らず
「Nasi sudah menjadi bubur.」
直訳:ご飯はもうお粥になった。

・転ばぬ先の杖
「Sedia payung sebelum hujan.」
直訳:雨が降る前に傘の準備

・泣き面に蜂
「Terjatuh diimpit janjang.」
直訳:脚を組まされて階段から落とされる。

・馬の耳に念仏
「Menanam biji di atas batu.」
直訳:石の上に種をまく

・弘法筆を選ばず
「Benih yang baik tak memilih tanah.」
直訳:よい苗は土地を選ばない。

・井の中の蛙
「Seperti katak dalam tempurung.」
直訳:椰子の殻の中の蛙のよう。


まだまだたくさんのことわざがありますが、表現の中に自然や生き物が多く登場し、南国ならではののんびりした雰囲気のものが多いように思います。また、表現は違っても似たような意味をもつことわざがあるということは、所変わっても同じように感じたり考えたりするのだなぁと親近感を抱きます。

私がインドネシア語を勉強し始めて初めて覚えたのが「Nasi sudah menjadi bubur. (ご飯はもうお粥になった。)」です。初めて聞いたとき、「確かに!お粥はご飯には戻らない!」とすごーく納得してしまいました。喩えがお米が大好きなインドネシア人らしくて私の一番気に入っていることわざです。